生まれてきた時点で・・・・
獣は生きるために生きる。
人は生きるため+人格的に成長するため+楽しむために生きる。
これは哲学的、宗教的、量子力学的にそうなっていると言える。つまり、宇宙の法則とか真理といえるんじゃないかな。
どれだけサッカーが上手くなっても、どれだけお金持ちになっても、どれだけ友達と楽しくしてても人格的な成長をしていなかったり、その部分に目を向けていなければ意味がない人生になったり不幸な人生になったりするんじゃないだろうか。
人は成長するため、楽しむために生を受けると言える。
人格的な成長の手っ取り早い方法は習慣だと思う。あいさつ、服装、時間、言葉。
これはこれでとっても大事なことだとは思うし、僕も子ども達のより良い将来のためにと思って厳しくしたこともある。
でも、横の人の目を気にし過ぎるぐらいのこの日本の環境で、はたして子どもの教育に組織の習慣の強要がプラスになっているんだろうか?
こと日本では組織の強要が子どもの成長ではなく組織の評判のためになっていないだろうか?
日本では家庭で身に付ける事、組織で身に付けさせる事、バランスを考え、大人もそう、子どもはもっとそうだけど周りの目を気にし過ぎず自分のアイデアとか表現とかもっと自由にできる環境作りが若年層の死因1位を減らしていけるんだと思う。
大企業でさえクリエイティブ部門はスーツじゃなく私服出勤してたり、茶髪だったりするように子どものアイデアとかクリエイティブさを考えると習慣から人格の成長を急かすのはマイナスなんじゃないだろうか?
数人見てきた指導の天才たち。習慣の細かいとこには無頓着だけど、そこの子ども達は安心してプレーしてたり、アイデア豊かにプレーしてたり、逞しさを持ってたりしてた。
日本の子どもとか若者の心の状態が危惧される今。
色々な悲しい事件が起こる今。
本気で考え、取り組むべきことだと思う。
自分の責任は自分で取れって子どもには言うのに、自国の責任は他国にしてもらうの?っていうのも、もっと家族とか学校とかでも話したり考える時間を取るべきだと思う。
僕はより多くや大きく他の人を幸せにする大志を抱き自己イメージを高くすること
現状に感謝の目を向ける事
大志を達成するために自分の技術向上や成長に取り組むことで
自ずと良い習慣を築き、高い人格を得ていくんじゃないかなと思ってる。
組織の習慣の強要より
ゆっくりだったり、失敗も多く重ねるけど、
子どもの笑顔とアイデアは良く見れる。
壁に当たったり、上手くいかなかったとき、怪我してサッカーやれない時こそ、ちょっとでいいから自分の夢とかやりたい事に他人の幸せを絡ませて考えてみて欲しい。たくさんの人に幸せの影響を与えれる様な大きい夢を持ってほしい。